京都風セールスの断り方
あなたの家にセールスマンがやってきたとする。
あなたには買う気はない。どう断るだろうか?
大抵は「間に合っています」「興味がないので、結構です」と答えることだろう。
京都には、セールスをやわらかーく断る魔法の言葉がある。
「いやぁ主人がおりませんのでよぅわかりません」
この主人を義母や母や父と変えて言っても構わない。
要するに「目上の人」を盾にして断る手法である。
そして、大体こう続ける。
「また主人と相談させてもらいます」
もちろん相談することはない。
京都限定かもしれないが、「目上の人」を盾に断る手法は大変便利である。
うちは自分ではよぅ決められません。
主人や父や母に聞いてみいひんと、よぅわかりませんのや。
にこにことやわらかに、自分を卑下して目上の人を立てつつ断ると、どんなセールスマンも引き下がる。そして丸く治まる。
もちろんこんなことを言っている側も、これが前時代的な価値観に基づいたものだと知っている。
しかし、誰からも文句の出ない有効な手段なので、いまだに使い続けている。
私もセールスの電話には必ずこう答える。
「いやぁ母がおりませんので、よくわかりかねます」
こう答えるとどんなセールスマンも「そ、そうですか…」と勝手に電話を切ってくれるのだった。おすすめ。
絶対に断られない飛び込みセールス―「断り文句」をラクに、楽しく切り返す
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よそ者に優しい?京都人
意外かもしれないが、京都の人はよそ者に優しい。
特に好むのは、外国人と大学生である。
観光都市である京都はシーズン毎に外国人であふれ、大学の街でもあるので他府県出身の大学生がたくさん住んでいる。
彼らは「外人さん」「学生さん」と呼ばれ、何かと親切にされる。
うちの祖母は「外人さん」が家に来ると、英語も喋れないのにニコニコして「おいでやす、えらい遠いところからよぅいらっしゃいました」と京都弁で話しかける。
「学生さん」を見ると「勉強がんばりや」とやはり優しい。
しかし、この「外人さん」「学生さん」に優しい姿勢は京都人のプライドによるものではないか…?と最近感じている。
「外人さん」も「学生さん」も、京都の人から見ると「客人」である。
わざわざ京都を好んでやってきた「客人」の存在は、京都人としてのプライドをいい感じに刺激する。
誇り高い京都の人が、やや優越感をもって「よぅいらっしゃいました」ともてなすのも自然だろう。
「京都の人はよそ者に優しい」と書いたが、よそ者に優しいのは、よそ者が「客人」の枠におさまっている間だけである。
よそ者があることをすると、京都の人の態度は豹変する。定住、である。
他府県からやってきた人が京都に家を求め住みついたとする。
恐らく近所の人の反応はいささか冷たくなるだろう。
「いや~、○○さんとこのあとに住まはるひと、東京からきはってんて」「へぇ~」
この「へぇ~」には「えらいけったいやなぁ」「嫌やなぁ」等の意味が込められている。
京都の人は客人には優しい。
一方で、自分たちのテリトリーによそ者が入り込むことに関しては排他的である。
この境界は何なのか。
うまく言葉にできないが、肌で感じられるものである。
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京都人はいじわる?
よく「『いけず』って言いますけど、京都の人はいじわるなんですか?」と聞かれる。
「いけず」とは、いじわるという意味の京都弁だ。
「京都人のいけず」は全国的に有名らしい。
私が肌で感じる限り「京都人のいけず」はほぼ絶滅した。
確かに未だに中高年以上の世代において「京都的な嫌味の言い方」は存在する。
ただ、若い世代で「いけず」なことを言う人はまずいないと思う。
もしあったとしても、それは余所から来た人の前で、彼らの要望に応えて披露した芸の一つではないだろうか。(わたしもよく披露する)
ただそれだと面白くないので、私の母に聞いた「京都人のいけず」エピソードを披露する。
- エピソード1「高尚な悩み」
私の母(60)は兵庫県出身で、大学進学のため京都に出てきた。
母の通った女子大は、母のような田舎者と生粋の京都のお嬢さまが寄せ集まった大学であった。
ある日、母の友人のA子(地方出身)がB子(京女)に対人関係の悩みを相談していた。
A子「それでね、○○さんがね、~でしょ」
B子「うん、うん」
A子「~ってね、言うのよ」
B子「うん、うん」
A子が悩みを話し、B子はずっと「うん、うん」と相槌を打っていた。
親身になって話を聞いていたように見えたB子。最後にこう言ったらしい。
B子「……もうちょっと高尚なこと考えはったら?」
- エピソード2「ものをはっきり言う女」
大学卒業後、母は京都の呉服屋の長男坊だった父と結婚した。
新婚の頃、ご近所さんと世間話をしていて、こう言われたらしい。
「○○さん(うちの名字)とこの若奥さんは、竹を割ったような性格したはりますなぁ」
母は狐につままれたような気分になって帰宅した後、辞書を引いてみたらしい。
「『竹を割ったよう』さっぱりとした性質のたとえ。邪悪な心や曲がったところのない気性をいう」
まだ釈然としないので、家族にどういう意味か聞いてみたらしい。
「あぁそれは、はっきりものを言いすぎるってことやで」
いかがだったろうか。
言葉が柔らかいだけに、京都人のいけずはなかなかパンチが効いている。
母が語ったエピソードはかれこれ40年近くも前の話である。
私が生まれて以降は「いけず」の話を聞いたことはない。
いつのまにかいじわるな京都人は絶滅してしまったのかもしれない。
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京都とうどん
京都のうどん屋さんの前を通ると、鰹のおだしのいい匂いがする。
関東のうどんが濃口で、関西のうどんが薄味なのはよく知られているが、特に京都のうどん屋さんはおだしがおいしいように思う。
京都の人はうどんのことを「おうどん」と呼ぶ。
京都の「おうどん」は、麺は香川に負けるけれども、おだしのおいしさと薬味の香り高さでは際立っている。
そんなうどんのメニューにも、地域差があることをご存知だろうか。
一般的に「たぬきうどん」は、天かす(揚げ玉)が入ったうどんのことである。
(写真:http://blog-imgs-23.fc2.com/t/a/k/takasannoibaraki/20070815211035.jpg)
一方、京都の「たぬきうどん」は、うどんの上に刻んだ油揚げをのせ、あんかけをかけたものである。
(写真:http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/18/9f43ef8be710760528cf95447a59aa41.jpg)
きつねうどんと何が違うの?と言われそうだが、油揚げを刻み、あんかけをかける点が異なる。
私は大学生になるまで、「あ〜かいきつねとみどりのたっぬっきっ」というCMでおなじみのマルちゃんの即席めんが理解できなかった。
「なんでたぬきうどんに天ぷらが入ってんのやろう…?」
本当は京都のうどんが特殊なだけであった。
最後に京都のおいしいうどん屋さんを紹介する。
- 尾張屋
幼い頃から出前といえば尾張屋さん、というくらい食べ続けている。
「今日は尾張屋でとるよ!」と言われると、大きくなった今でも心踊る。
おだしがおいしいから、おうどんだけでなく、カツ丼や親子丼もおいしいのだ。
http://s.tabelog.com/kyoto/A2602/A260202/26008499/
- 田ごと(下鴨)
「今日のお昼は外で食べよか」という時には必ず「下鴨のおうどんやさんいきたい!」と言う。
うどんもさることながら、田ごとの薬味はなんであんなにおいしいのだろう。
http://s.tabelog.com/kyoto/A2605/A260503/26009318/
京都では、ごく普通の街のうどん屋さんが本当においしい。
いつかふらりと立ち寄ってみてほしい。
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ならぬものはならぬ?
先日、NHK大河ドラマ「八重の桜」を観ていたら、「ならぬものはならぬのです」というセリフがあった。
新島八重が生まれた会津の掟で「○○をしてはなりませぬ、△△をしてはなりませぬ、ならぬものはならぬのです」と規則に反した行いを戒めるものだ。
この言葉を聞いた時「ああ、武家の慣わしだなぁ」と思った。
道徳に則り、曲がった行いを戒める掟は、全体の統率を図るのには相応しい。
だが一方で、柔軟性に欠ける面もある。
会津が官軍に滅ぼされる運命に至ったのも、こうした気質が影響しているように思えてならない。
さて、京都では「ならぬものはならぬ」は成り立つのか。
私は成り立たないと思う。
「○○したらあきません」と言うこと自体はあり得る。
ただ、その○○が本当にしてはならないかどうかは状況に応じて変化する。
京都の人に、絶対的な規範はない。
規則や道徳よりも、その場に合わせた判断が求められる。それは、政治の渦中にあり続けた街の気質ではないだろうか。
「○○したらあかんでえ」
柔らかな語尾にはしたたかさが隠れている。
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ペストカップル?東男と京女
昨日(2月10日)の投稿「親が名付けをしない」
http://nana5.hatenablog.com/entry/2013/02/10/201633
では、名付けをめぐる京都出身の妻と他府県出身の夫との争いを紹介した。
名付けに限らず「京都では○○やから」と主張する京都出身の奥さんと、「いやいや何でも京都っていうなよ」という他府県出身の旦那さんの争いはよく聞く。
その背景には、京都出身の奥さんの「京都至上主義」があるように思えてならない。
例えば、京都出身の女性は出身地を聞かれると「京都からきました(うふふ)」と答えるが、この(うふふ)は(ドヤァ)と読み替えていただいて構わない。
本音ではどこより京都が一番だと思っているので、優越感をにじませるのだ。
京都至上主義の彼女達は、他府県で結婚していても、隙あらば京都へ帰ろうとする。
私の周りでは、京都が好きすぎるあまり夫を東京へ置いて、単身or子連れで京都へ帰ってきた3人が離婚した。
この京都至上主義、私にも身に覚えがないではない。
かつて関東出身の男性と付き合っていた時、何度も揉めた。
東男の彼は言う。「京都は飽きる」と。
「京都ってさー、何度か行ったら見るとこないよね」
そう言われるたびに、京女のプライドは傷付き、激昂した。
なに言うてんねん、たいして寺社仏閣いったことないくせに。
なに言うてんねん、住んだことないくせに。
住んだことないくせに。
そう、たぶん京都の良さは住んでみないとわからない。
歴史や寺社仏閣が好きな人でない限り、よそから来た人にとって京都は田舎町に過ぎない。
住んでいると殆ど寺社仏閣へは行かないが、この街を愛してやまなくなる。
自転車で回れる距離間とか、本屋の多さとか、おいしい店がたくさんあることとか、鴨川とか、街並みとか、うまく言葉にできない雰囲気の良さを感じ取るからだと思う。
しかしそんな言葉にならない雰囲気を伝えられるはずもなく、何度も口惜しい思いをした。
そして言葉足らずに繰り返すのだ。「京都が一番やねん!」
まぁだいたい「京都は田舎じゃん、東京と比べてみなよ」と言われて更にヒートアップしたのだが。
恐らく、東男と京女のカップルは最初のうちは相性が良い。
一般的に京女の京都弁が良しとされるように、最初のうちは東男も京女のはんなりとした雰囲気に魅力を感じることだろう。京女も自分の京都らしさがちやほやされるものだから、まんざらではない。
ところが、次第に京女の京都至上主義が支障をきたし始める。東男にとって最初は素敵に思えた京都弁も、慣れてくると普通である。そこからどうなるかはケースバイケースだが、「京都やと○○やから」「何でも京都っていうなよ!」「京都が一番やねん!」「田舎じゃん!」という口論に至ることも多いと思う。
…と、ここまで読んでおわかりのように、
京女は、京都を馬鹿にされたことを二度と忘れない。
他府県出身の男性の皆さん、気を付けてください。
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親が名付けをしない
小学校の頃「お父さんお母さんに自分の名前の由来を聞きましょう」という宿題があった。
翌日のクラスで、約1/3のクラスメイトが「僕の名前はお父さんお母さんが考えたものではありません」と発表した。
京都では、わりと多くの親が自分達で名付けをしない。
では誰が名付けるのか。
先程のクラスメイト達はこう続けた。「僕の名前は神社で付けてもらいました」
かくいう私も神社で名付けてもらった一人だ。
私の両親は建勲神社にお願いして、複数の名前を頂いた。
裕乃、有里、知子、容子、桃子、澪子…
安定した名前ばかりだ。どうやら神様はキラキラネームがお嫌いらしい。
私の周りの子供たちは、船岡山の建勲神社か、西陣の晴明神社で付けてもらう子が大半だった。家ごとに建勲神社派か、晴明神社派に分かれていたように思う。
神主さんが子供の生年月日から姓名判断をして複数の名前を考えてくれる。
値段は晴明神社で五千円ほどらしい。
今回この記事をかくにあたりググってみたところ、こんなスレを見つけた。
【妻が晴明神社で子供の名前を付けようとする】
http://kosodatech.blog133.fc2.com/blog-entry-87.html
京都出身の妻が子供の名前を晴明神社で付けようとするので困っています、という夫の投稿である。妻は「京都じゃみんなそうだったから晴明さんで付けたい」、夫は「氏子でもないのにそんなことをするのは耐えられない」と大喧嘩。
このスレの奥さんの主張、京都人ならよーくわかる。
しかし「神社で名付けが普通」という感覚は、京都だけなのか…。
そんな時代に取り残された京都の生活文化を伝えるブログ、はじまりはじまり。
名づけの世相史 「個性的な名前」をフィールドワーク (文化人類学ブックレット4) (京都文教大学 文化人類学ブックレット)
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