京都上ル下ル

呉服屋の娘のよもやま話

駐輪場をください

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今出川が同志社景気に沸いている。


今朝の日本経済新聞の記事によると、同志社大学の文系学部を全て今出川キャンパスに集めるために、新たに8000人、全体で2万人が今出川に通うらしい。

http://www.nikkei.com/article/DGXNASJB2004X_Q3A220C1LDA000/

何より心配なのは、駐輪場が少ないことだそうだ。

そもそも京都は自転車の街でありながら、駐輪場が少ない。
主要な地下鉄の駅ごとに駐輪場があっても良さそうなのに、市内中心部ほど駐輪場がない。

地下鉄の駅と一緒に地下を掘って作れないのだろうか。
ひょっとして地下を掘ることで地下水の流れが変わって、井戸水をお手前に使うお茶の家元が困るから掘れないのだろうか。「お茶の家からの圧力でこれ以上地下は掘れません」なんて、京都ではありそう…。妄想は広がるばかりである。


冗談はさておき、駐輪場が少ないことに私たち京都市民もほとほと迷惑している。
公共交通機関の利用を促すなら、自宅から地下鉄の駅まで乗る自転車の利用もサポートすべきだろう。

あったらいいな、こんなサービス。

市内の地下鉄の駅や主要なゾーンごとに市営駐輪場を設ける。
そして各駐輪場を使い放題にする定期券を発行する。

もしそうなれば地下鉄への乗り継ぎが簡単になって、より地下鉄の利用者も増えると思うのだが、どうだろうか?

京都市の担当者の皆さん、ぜひ検討をお願いします。

 

成功する自転車まちづくり―政策と計画のポイント

成功する自転車まちづくり―政策と計画のポイント

京都のお姑さん

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京都の家で一番恐ろしい存在は、お姑さんである。


今でこそお姑さんと同居することは少なくなったが、ちょっと上の世代だとお姑さんと住んでいる家は珍しくない。
そして、そういう家で一番恐ろしい存在は、決まってその家のおばあさんなのだ。

という訳で、うちのおばあちゃんがやばい、という話である。


うちの祖母は今年で85歳、今も元気にうちの店で働いている。
元は西陣の糸屋の娘で、根っからの京女である。

今でこそ祖母も丸くなったが、うちの母が嫁いだ時はそれはもう恐ろしかったらしい。


母が若い頃、父との結婚の挨拶のため、初めて父の実家を訪ねたことがあった。
出迎えた祖母は、開口一番こう尋ねた。「お父様のお仕事は?」
母が面喰いながら「ちゅ、中学校の校長です…」と答えると、今度はお茶とバナナが出てきた。

なんでバナナ?と思う間に、食卓にはバナナに添えてフォークとナイフが並べられた。

「どうぞ、おあがりやす」

祖母は笑顔で母を見つめている。食卓には、お茶とバナナとフォークとナイフ。

(フォークとナイフ? フォークとナイフを使ってバナナを食べるの?え?)

混乱した母は隣の父に「どうやって食べるの…?」と小声で尋ねた。
父は「こうやって食べるんやろ」と平然とバナナを手で剥いて食べてみせた。
そのおかげで、「いただきます」と普段通りバナナを食べることができたそうだ。


どうやら祖母はわざとフォークとナイフを出して、母がバナナをどうやって食べるか試したらしい。
恐らくこの家に嫁ぐにふさわしいかどうかを試したのだろうが、なぜそんなことをしたのか、40年近く経った今でも誰も聞けずにいる。


京都のお姑さんの恐ろしさは、面と向かって言わないところにある。
嫁にふさわしいか試す時も、自分の意にそぐわない時も、回りくどい方法で伝えてくる。

それを汲み取れる者だけが、京都の家に嫁げるのかもしれない…。


(…なんて冗談です。今はそんな家はありません、たぶん。)

 

毒になる姑

毒になる姑

ぺらぺらの着物

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卒業式シーズンが近付き、街にレンタル袴の広告が溢れるようになった。


安価なレンタル袴用の着物といえば、プリント地のぺらぺらのものが大半である。

前々から気になっていたのだが、ああいうものを借りる人は、あの生地が気にならないのだろうか?


着物には生地によってランクがある。

フォーマルな時に使う高級品に絹があるが、レンタル袴用の着物は恐らく化繊である。

幼い頃から良い絹に囲まれて育った身には、化繊の着物を卒業式で着ることに大分抵抗がある。


一方で、化繊の着物の効用についても考えてみたい。

確かに化繊の着物は素材が良くない。デザインも私の好みではない。

ただ、安価で借りることができる。

この利点は大きいように思う。


普段着物に触れない若い女の子が、卒業式というイベントを利用して着物を着る。
ぺらぺらの着物といえども、着物を着る人の幅を広げてくれる。


願わくは、化繊の着物から入った人が、それをきっかけに着物にはまってくれることである。


化繊の着物から絹の着物へ。どう誘導すれば良いのだろうか?

 

DVDで着物の手ほどき 着付けと帯結び

DVDで着物の手ほどき 着付けと帯結び

 

経済同友会は文化サロン

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京都には、京都経済同友会という社団法人がある。


主に京都にある企業の社長さんが参加する組織で、会員は600人ほど。

うちの父も会員なので、家にあった会員名簿なるものをぱらぱら見ていたところ、あることに気が付いた。


お茶の家元やお花の家元、大学の学長など文化芸術に関わる人たちも参加しているのだ。


文化人が「経済同友会」に参加する。

恐らく他の地域の経済同友会にはない特徴だろう。


父から伝え聞く限り、いわゆる「経済同友会」というよりは、文化サロンとしての役割も果たしているようだ。

そういえば以前、経済同友会の主催で、iPS細胞で有名な山中伸弥先生の講演会があった。
どうしても行きたかったので、父の秘書になりすまして参加したのだが、こうした講演会を主催するのも文化サロンたるゆえんだろうか。


ちなみに京都一の大富豪は、某伝統芸能の家元だという噂である。

経済と文化芸術は案外近いところにあるのかもしれない。

 

京都経済同友会http://www.kyodoyukai.or.jp/

 

戦後日本経済と経済同友会

戦後日本経済と経済同友会

京都は狭い

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京都の人は「京都は狭い」という言い方をよくする。


「京都は狭い」には二通りの意味がある。

(1)人間関係が狭い
(2)土地が狭い

 

(1)人間関係が狭い

思いがけない人が自分に近しい人と繋がっていた時に、この意味で用いる。
京都の人間関係は、恐るべき狭さである。

「友達のお嫁さんが、うちの兄の同級生の姉だった」

この程度の繋がりはよくある話だ。
昔から京都に住んでいる人なら、知人を1~2人介せば繋がるのではないだろうか。

特に子供を私立の小中学校に入れる層はお互いに知り合いであることが多い。
京都の私学の学校には限りがあるので、伝統芸能の家や商家の子が同じ学校に通うことが多い。
親同士も元々仕事の知り合いだし、子供同士も学校で仲良くなったりする。

すると自然に学校を通して、人間関係が構築されていく。

人間関係が狭いことは仕事において助けになることが多い。
ただし悪い噂が広まる速さも倍になるので、注意が必要である。


(2)土地が狭い

街に出掛けて思いがけず知人に出くわした時に、この意味で用いる。

京都は繁華街が「四条通界隈」だけなので、休日に街に繰り出すと必ず誰か知人に会う。

私の男友達は、ある日女の子と四条でデートしていたところ、いつの間にか近所のおばさんに目撃され、夕方帰宅した頃には母親に「今日デートしてたんやって?」とばれていたらしい。恐ろしや…。

 

「いやあ、京都は狭いな~」

驚きと共にそう言う時、京都の街の小ささを実感する。
思いがけない出来事に嬉しいと思う気持ち半分、少し恐ろしい気もする。

この街に組み込まれている限り、悪いことはできそうにない。

 

 

座持ちの舞妓

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 「祇園のヌシ」という異名を持つ男性と祇園で飲んだことがある。


ヌシ様は、かれこれ40年祇園で遊びぬいた方である。

その日、二軒目に選んだ元芸妓さんがママをしているバーで、ちょっと面白いことがあった。


「○○さん、このあいだはおおきに、ありがとうございました」

隣のテーブルのお客さんに付いてきた舞妓さんが、わざわざヌシ様に挨拶をしてくれた。

明るく感じのよい舞妓さんであったが、
(あれ、ちょっと、舞妓にしてはおへちゃさんやな…)
と失礼ながら思ってしまったことを覚えている。


その舞妓さんが帰ってから、ヌシ様がこう言った。

「今の舞妓さん、ちょっとおへちゃさんやったやろ」

はい、とも言えないので、はぁ…と間を濁していると、ヌシ様は続けてこう言った。

「舞妓さんはな、座持ちがええのが一番や。そら撮影用や観光用には顔のええ舞妓を使うけども、お座敷に呼ぶのは座持ちの舞妓なんや。今の妓は、顔はおへちゃさんかもしれんけど、いまに座持ちのええ舞妓になる。ああいう妓に限って、襟替え(芸妓になること)でもしたら、ぐっと色っぽうなるんやで。」


「座持ち」とは、お座敷を盛り上げる能力のことである。
芸舞妓は顔が良いだけではつとまらない、座持ちの良さが肝心であるとヌシ様は語った。


すると元芸妓のバーのママさんも加わって、

「○○ちゃん(さっきの舞妓さん)は、こないだも場を盛り上げようとして、~してたで。ほんまにええ妓や。」

などと褒め始めた。本職の芸妓さんにも褒められるくらいだから、良い舞妓さんなのだろう。


たとえおへちゃさんでも、座持ちが良ければ愛される。

日常における「座持ちの舞妓」を目指そう、と思った出来事であった。

京都花街の経営学

京都花街の経営学

高速!おため返し

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「おため」という言葉をご存じだろうか。


「おため」とは、京都の贈り物の一つである。

元々は結婚のお祝い金の一割をその場で(!)返金する習慣のことを指す。

そこから転じて、頂き物のお返しも「おためを返す」と表現する。


子供の頃から不思議だったことの一つに、この「おため返し」がある。

母が近所の人にお菓子やくだものをおすそわけすることがある。
すると、必ずといっていいほど、近所の人がお菓子なり別の品物をその場でくれる。
間に合わせがなくその場で渡せなかった時でも、次の日にはちょっとしたものを届けてくれた。

プレゼントをもらう→高速おため返し

この暗黙のルールが不思議でならなかった。
確かに、贈り物をいただいた後にお返しをすることは自然なことだろう。
でも、どうしてちょっと必死な感じなのか。
できるだけ早く返さなきゃ…!子供ながらにそんな空気を感じ取っていた。


今思うと「おため返し」とは、できるだけ恩を作らないための手段である。
もちろん「物を下さってありがとうございます」という感謝の気持ちを込めた「おため返し」ではあるが、どちらかといえば「恩を返さないと不利になるから、早めに返しておこう…」という意図が見え隠れする。

そしてそのような意図を笑顔に隠し「おおきに~、つまらないもんですけど、これでもどうぞ」と高速おため返しを繰り出すのが京都人である。


英語の語源とは異なるが「Gift」はドイツ語で毒を意味するらしい。
恩を売ることは毒を盛るとも曲解できる。

毒をもって毒を制す(?)おため返しである。

 

京都 贈りもの手帖 (act books)

京都 贈りもの手帖 (act books)