京都上ル下ル

呉服屋の娘のよもやま話

京都は狭い

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京都の人は「京都は狭い」という言い方をよくする。


「京都は狭い」には二通りの意味がある。

(1)人間関係が狭い
(2)土地が狭い

 

(1)人間関係が狭い

思いがけない人が自分に近しい人と繋がっていた時に、この意味で用いる。
京都の人間関係は、恐るべき狭さである。

「友達のお嫁さんが、うちの兄の同級生の姉だった」

この程度の繋がりはよくある話だ。
昔から京都に住んでいる人なら、知人を1~2人介せば繋がるのではないだろうか。

特に子供を私立の小中学校に入れる層はお互いに知り合いであることが多い。
京都の私学の学校には限りがあるので、伝統芸能の家や商家の子が同じ学校に通うことが多い。
親同士も元々仕事の知り合いだし、子供同士も学校で仲良くなったりする。

すると自然に学校を通して、人間関係が構築されていく。

人間関係が狭いことは仕事において助けになることが多い。
ただし悪い噂が広まる速さも倍になるので、注意が必要である。


(2)土地が狭い

街に出掛けて思いがけず知人に出くわした時に、この意味で用いる。

京都は繁華街が「四条通界隈」だけなので、休日に街に繰り出すと必ず誰か知人に会う。

私の男友達は、ある日女の子と四条でデートしていたところ、いつの間にか近所のおばさんに目撃され、夕方帰宅した頃には母親に「今日デートしてたんやって?」とばれていたらしい。恐ろしや…。

 

「いやあ、京都は狭いな~」

驚きと共にそう言う時、京都の街の小ささを実感する。
思いがけない出来事に嬉しいと思う気持ち半分、少し恐ろしい気もする。

この街に組み込まれている限り、悪いことはできそうにない。