京都上ル下ル

呉服屋の娘のよもやま話

京都人はいじわる?

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よく「『いけず』って言いますけど、京都の人はいじわるなんですか?」と聞かれる。


「いけず」とは、いじわるという意味の京都弁だ。
「京都人のいけず」は全国的に有名らしい。


私が肌で感じる限り「京都人のいけず」はほぼ絶滅した。
確かに未だに中高年以上の世代において「京都的な嫌味の言い方」は存在する。
ただ、若い世代で「いけず」なことを言う人はまずいないと思う。
もしあったとしても、それは余所から来た人の前で、彼らの要望に応えて披露した芸の一つではないだろうか。(わたしもよく披露する)


ただそれだと面白くないので、私の母に聞いた「京都人のいけず」エピソードを披露する。

 

  • エピソード1「高尚な悩み」

私の母(60)は兵庫県出身で、大学進学のため京都に出てきた。
母の通った女子大は、母のような田舎者と生粋の京都のお嬢さまが寄せ集まった大学であった。
ある日、母の友人のA子(地方出身)がB子(京女)に対人関係の悩みを相談していた。

A子「それでね、○○さんがね、~でしょ」
B子「うん、うん」
A子「~ってね、言うのよ」
B子「うん、うん」

A子が悩みを話し、B子はずっと「うん、うん」と相槌を打っていた。
親身になって話を聞いていたように見えたB子。最後にこう言ったらしい。

B子「……もうちょっと高尚なこと考えはったら?」

 

  • エピソード2「ものをはっきり言う女」

大学卒業後、母は京都の呉服屋の長男坊だった父と結婚した。
新婚の頃、ご近所さんと世間話をしていて、こう言われたらしい。

「○○さん(うちの名字)とこの若奥さんは、竹を割ったような性格したはりますなぁ」

母は狐につままれたような気分になって帰宅した後、辞書を引いてみたらしい。
「『竹を割ったよう』さっぱりとした性質のたとえ。邪悪な心や曲がったところのない気性をいう」

まだ釈然としないので、家族にどういう意味か聞いてみたらしい。

「あぁそれは、はっきりものを言いすぎるってことやで」


いかがだったろうか。
言葉が柔らかいだけに、京都人のいけずはなかなかパンチが効いている。

母が語ったエピソードはかれこれ40年近くも前の話である。
私が生まれて以降は「いけず」の話を聞いたことはない。

いつのまにかいじわるな京都人は絶滅してしまったのかもしれない。

 

イケズの構造

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